2205後章「キャッチコピー」の意味を考えてみた

皆様今晩は!
先週からずっとリアルの方が忙しくて、すっかり更新が滞ってしまい、大変失礼いたしました。
なんか最近こればかりですね(苦笑)
ふと気づけば、「2205前章」の公開最終日。
伝え聞いた話によると、「2205前章」の興行収入が「2202」全作の興行収入より高かったとか。
これは2202のトータルの興行収入なのか、2202各章ごとに比べての事なのかは少しわかりませんが、東京や大阪など一部の映画館では更に1週間上映が伸びたという事から、2205が2202よりも反響が高かったという事は間違いなさそうです(2202では上映延長は無かった)。
「ヤマトという時代」上映時に同時上映された2205の冒頭を初めて見た時、これは絶対にヒットすると思っていましたが、予想以上のヒットになって、いちヤマトファンとして本当に嬉しい限りです。

さて、一昨日の11月2に開催された「ヤマトーク」において、後章に関するいくつかの新情報が公開されたそうです。
その大半が情報規制により未確認情報状態ですが、一つだけ、後章のキャッチコピーが「大人になどなりたくなかった――」であることが公式の「ヤマトーク」レポートで公開されていました。
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この「大人になどなりたくなかった」は、前章のキャッチコピーの「もう大人たちには期待しない。」 に対になるようなコピーですが、なかなか意味深ですね。
このコピーを考えた福井氏によれば、「見れば納得。楽しみにしていただければ」という事ですので、このコピーは後章を象徴する言葉であることは間違いなさそうです。
そこで、このコピーがどのような形で後章の物語に関わってくるのか、少し考えてみました。

個人的には、このコピーはデスラー総統・土門・古代、それぞれの物語に形を変えて関わってくるのではないかと思っています。

デスラー総統の「大人になりたくなかった」

まず、デスラー総統における「大人になりたくなかった」とは、ズバリ、初恋の相手であるスターシャとの別れを意味していると思われます。
上で挙げた3人のうち、デスラー総統は間違いなく一番の大人です。
しかし、スターシャに対してだけは「スターシャと初めて出会った少年の頃のメンタリティー」からほとんど変わっていないことが前章で描かれています。
おそらく、スターシャに対するデスラーの気持ちは、「子供が母親を慕う気持ち」に非常に近いものだと思われます。
そもそも、実の母親に無視されていたデスラーの生い立ちを考えれば、唯一優しく接してくれたスターシャを母親に見立てて慕うのは当然です。
2199でスターシャを神聖化したり、わざと悪ぶって相手を困らせていたのも、デスラー総統がスターシャを母親に見立てていた故の神聖視や甘えであったと考えれば、非常に納得できる行動です。
しかし残念ながら、子供はいずれ母親から離れて独立しなければなりません。
デスラーにとってのこの独立が今回の2205後章であり、彼は“母”であるスターシャとの別れによって本当の意味で大人になるのでしょう。ただそれはデスラーにとってはあまりにもつらい別れであり、「大人になりたくなかった」という事なのではないでしょうか。
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土門の「大人になりたくなかった」

次に土門ですが、彼は2205における「大人でない者」の代表です。
彼は前章で「現実」の厳しさや冷酷さを語っていますが、イスカンダルを救出するために反乱を起こしたり、既に公開されている後章PVで「全員を救う方法があるんです」というセリフがあるように、本当はそのような「現実」を否定したがっていることを伺わせます。
しかしやはり現実はそんなに甘いものではありません。
あるいは、これは私自身が大人だからこそう思ってしまうのかもしれませんが、「全員を救う」というのは不可能です。
実際、2205においてもその冒頭で古代と雪の救出が成功したその裏側で土門は父親を失っており、「全員を救うことは不可能」という厳しい現実が既に描かれています。
これはあくまで私の勝手な私見ですが、「大人である者」と「大人ではない者」の違いは、その冷酷な現実を「受け入れている」か、「受け入れていない」か、ではないかと思います。
「全員を救う方法があるんです」と言っている土門君ですが、彼はこのデザリアムとの戦いで、全員を救う事は出来ないという冷酷な現実に直面し、そこで彼は初めて「大人になる」ことの意味を本当に知ることになるのではないでしょうか。
それ故、彼は「大人になりたくなかった」との想いを抱くようになるのではないかと思います。
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古代の「大人になりたくなかった」

最後に古代ですが、実は彼が3人の中では精神面で最も大人になっているのではないかと思います。
実際、前章において、自分自身が大きく変わってしまったことを沖田艦長の像に告白していたり、昔の自分を思わせる土門の気持ちを理解し配慮するなど、2202の時点と比べても精神面での変化や成長が見受けられます。
恐らく彼は先のガトランティス戦役で非常に多くのものを失っており、それゆえ、現実というものを受け入れることができるようになっているのでしょう。
ただし彼の特異性は、そのような現実を受け入れた上でなおも理想を捨てていない点にあるのではないかと思います。
これは簡単なようで非常に難しい事です。
その象徴ともいえるのが芹沢さんです。
一部のファンの間で、芹沢さんを「現実を受け入れる中で理想を失った人物」と評されており、私もこれに同感ですが、彼の視点に立った「これまでの粗筋」をみても、過酷な現実をけ入れていく中で、どんどん自分を見失っていく様子が描かれています。
これは現実を受け入れるという事が悪いという事ではなく、現実を受け入れつつ、それでも自分の理想を捨てないという事がいかに難しいかを示している好例と言えます。
恐らく2205で古代がメンタル面できつそうに見えるのは、このような一番つらい道を選んでいるからでしょう。
ちなみに雪もそのことをよく理解しているからこそ、古代から離れることになっても彼を守るための力を求めたのではないかと思われます。
さてそんな古代ですが、2205後章において、またも理想が現実に裏切られるという事態、具体的にはどうやってもイスカンダルを救うことができないという厳しい現実を受け入れなければならない事態になるのではないでしょうか。
2202までの古代君であるならばそのような現実はとても受け入れることができなかったでしょうが、2205の古代はそれを正面から受け入れることができ、それができる自分自身に「大人になんかなりたくなかった」と自己嫌悪を覚えることになるのではないか。
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以上が私が考える「大人になりたくなかった」の意味です。
完全に妄想なので正直外れる可能性の方が高いですが、果たして真実はいかに?
正解が判明する2月の公開がいまから本当に楽しみです。

コメント

  1. 銀河の風 より:

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    スターシア猊下だった…という話に
    なるのではないかと空想妄想します。
    (中の人は永遠の…だからか?オイオイ)

    イスカンダル星が背負った宿命の
    罪と罰についてデザリアムの侵攻によって
    明らかにされ、その精算を迫られる…
    イスカンダル女王に背負わされた過酷な
    宿命を誰よりも呪っているのがスターシア本人、
    「儀式」を受け「大人」になりなくなかった…のだと

    来春の後章でどんなストーリーが
    展開するのでしょう?楽しみです。

  2. 山城2199 より:

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    銀河の風様、コメントをありがとうございます
    スターシャ女王はむしろ大人として多くの事を受け入れいまくった結果、達観しすぎたタイプだと思っています。
    私生活では「何をやってもダメダメ~」と歌いながら一人酒を飲んでいるんではないでしょうか(笑)
    これは冗談であるにせよ、希望を失った大人代表が2199世界のスターシャであると思います。