雪の再記憶喪失の意味とは

皆様こんばんは。
「ヤマトマガジン」最新号の到着報告が今日あたりからようやく確認できはじめました。
私の手元にはまだ届きませんが、聞く限りかなり濃密な内容であるとのこと。
到着がすごく楽しみです!(明日ぐらいに届いてくれるといいですね)

さて、今回は先日Twitterで2202第6章で起きた雪の再記憶喪失(正確には以前の記憶が戻ったことによる記憶喪失期間内の記憶が喪失した、ということですが説明が長いので、ここではこのように表現します)について、以下のような非常に興味深い意見を発見しましたので、この件について少し私なりの感想を語りたいと思います。

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(参考)https://twitter.com/EFDFPRO_0001/status/1233583816477831168

私もこの解釈には全面的に賛成です。
そしてこの古代と雪の間に紡がれていた「大いなる愛」こそが、「愛を否定する」ガトランティを(失敗はしたものの)変えるきっかけになり、最後のテレサ召喚につながるという流れは非常に良かったと思います。
また、個人的な見解として、この雪の再記憶喪失の最も面白い点は、2202で古代君と大帝が対照的な存在として描かれていたように、この再記憶喪失によって雪がサーベラーと対称的な存在になったという点です。
これを説明するためにはまずは改めて古代君と大帝の対称性について見直してみたいと思います。

2202で描かれた古代君と大帝の対称性

私は以前からたびたび2202において古代君と大帝は対称的な存在として描かれていると指摘しました。
実際、「愛を信じる古代君」と「愛を否定する大帝」の構図は2202を理解する上での重要な要素であると思います。

ちなみに私の私見では、古代君と大帝はおそらく根本的にはよく似たタイプの人間だと思っています。
サーベラーが生きていたころの青年時代の大帝は古代君のような性格や考え方をしていたのではないでしょうか。
しかしその後、最愛の女性(と子供)を失わせた絶望が大帝を「愛を否定する」性格に変貌させてしまったことは間違いないでしょう。
本編内において、大帝が古代君にある種の執着を見せ、さまざまな「悪魔の判断」を強いているのも、おそらく古代君に昔の自分を重ね合わせて、昔の自分を否定したかった(=愛という呪縛によって、最愛の存在を失った自分を否定したかった)からであると思われます。

閑話休題

そんな古代君と大帝は、最愛の女性に対する態度も実に対称的な描かれ方をしています。
例えば、古代君は雪を心から愛し、それゆえに雪の本心が理解できませんでした。
一方、大帝はサーベラーの愛を否定し、彼女の本心を理解することを拒みました。
このように古代君と大帝が実に対称的である以上、彼らの最愛の女性である雪とサーベラーもまた合わせ鏡のような存在になるのは必然であったと思われます。

2202で描かれた雪とサーベラーの対称性

実は2202におけるサーベラーと雪はまさに真逆というべき存在です。
サーベラーは偽りの肉体に本物の記憶を宿している存在です。
一方、雪は肉体は本人のものですが、記憶の方は記憶喪失によって生まれたいわば偽りの存在です。。
そしてここからが重要ですが、偶発的な事故によって本当の記憶をよみがえらせた雪は、強制的に本当の記憶を封印されているサーベラーの合わせ鏡と考えると非常に納得がいきます。
では2202では雪とサーベラーを合わせ鏡にすることで一体何を描きたかったのか。

雪とサーベラーを通して描きたかったもの

雪とサーベラーという2人の女性を通じて描きたかったもの、それは「愛の強さ」であると思います。
2202において第14話において、サーベラーは肉体を変え、いくら記憶を封印しても何らかの拍子で昔の記憶を取り戻すということが語られていますが、なぜ、そのようなことをが起きたのか、その答えを示したのが再記憶喪失になった雪だったのではないかと思います。
彼女は本当の記憶を取り戻したことにより、古代との記憶がすべて消えてしまいます。
つまり記憶を引きつでいるサーベラーとは異なり、彼女は古代進に対する想いそのものが存在しないはずです。
にもかかわらず、雪は古代をその身をもって銃撃からかばいました。
これは大帝にとってまさに衝撃的だったと思われます
この時点まで大帝は「愛は記憶によって生み出されるもの」と思っていた(思い込んでいた)と思われます。
しかし、記憶のない雪が愛する古代をかばった、これは大帝にとってもそれまでの自分の考えを否定するに等しい出来事だったと思われます。
それゆえに、大帝もまたもう一度だけ人間の愛を信用する気になったのではないでしょうか?
23話での和解のチャンスは古代だけではなく、雪とサーベラーという二人の女性が示した愛の強さがあってこそ生み出された、まさに奇跡の産物だったと思われます。
しかしそれはミルという希望を失ったことで永遠にその機会を失ったことは本編が描いた通りです。

結局、サーベラーの愛は大帝を救うことは最後までできませんでした。
一方で、雪はその愛で最愛の人を救うことができ、地球に戻ることができました。
どこまでも対称的だった二人の女性の愛はここでも全く真逆の結末を迎えています。

雪とサーベラーという二人の女性を通じて描かれたもの、それは「愛するが故の強さ」と「愛するが故の弱さ」であり、2202において前者を象徴するのが雪であり、後者を象徴するのがサーベラーだったと思います。
この観点から2202を見直すとまた違った印象を受けるのではないでしょうか。