「北方の孤独の女王」の終焉

皆様こんばんは!
本日11月12日はドイツ第三帝国の誇るビスマルク級戦艦の2番艦にして、ドイツ史上最後の戦艦となった「ティルピッツ」が沈没した日です。

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「北方の孤独の女王」と呼ばれた欧州最大最強のこの戦艦は、フィヨルド内に停泊中、イギリス空軍の第617爆撃機中隊のランカスター爆撃機によるトールボーイを使用した爆撃を受け、命中弾3、至近弾1により大破横転しそのまま沈没、その生涯を閉じました。

ティルピッツの生涯は1番艦である「ビスマルク」沈没後にドイツ海軍が採用した現存艦隊主義的な運用により、フィヨルド内から出港せず温存され続けたこともあって華々しい戦果とは無縁でしたが、イギリス海軍は常にティルピッツの出撃に備え、それなりの戦力の艦隊を本国に温存待機させておかざるを得ず、たとえ出撃せずともその存在自体が有害かつ脅威でありつづけました。

最大最強の戦艦でありながら戦艦として活躍できなかった点は日本の大和型戦艦に通ずるものがありますが、それでも戦略的に役に立てていた分、ティルピッツのほうがはるかにに有意義な生涯だったと思います。
このティルピッツの生涯を見ると、旧日本海軍も折角建造した「大和」や「武蔵」をもっと戦略・ないし戦術的に役立てる方法を考えてほしかったですね。
しかしその一方で、停泊中に受けた爆撃により、無残にその躯をさらすことになってしまったティルピッツの写真を見ると、結構複雑です。

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戦艦大和による海上特攻は今でも批判の声はありますが、もし大和が呉に係留されたままティルピッツの様な最期を迎えてしまっていたのならば、はたして現在のような人気はあったでしょうか?
そして、「宇宙戦艦ヤマト」は誕生しえたでしょうか?

大和型戦艦の2隻はティルピッツと比べて戦略的・戦術的に何ら役には立たず、まさに不遇な生涯でしたが、その壮絶な最期によって「不滅の戦艦」として日本人の心に強く刻みつかれたことを考えると、少なくともその最期だけはティルピッツよりも恵まれていたのではないかと思います。