沖縄海上特攻発令

皆様こんばんは!
本日4月5日は、戦艦大和を旗艦とする第2艦隊が連合艦隊より沖縄海上特攻の命令を受領した日です。
20210405_img001.jpg「一億総特攻の魁となって頂きたい」という言葉で有名な草鹿連合艦隊参謀長と伊藤整一中将との会話は本日なされたそうです。
約1日の準備期間を経て翌4月6日、戦艦大和と軽巡矢矧、そして8隻の駆逐艦が2度と帰らぬ決戦の海に向けて出港しました。

この海上特攻について、純軍事的には全くの無意味であり、単なる人命の消費という指摘は当時から存在し、事実その通りであると私も思います。
しかし誤解を恐れずに言わせてもらえば、死に場所を与えられた戦艦大和はある意味幸運だったと思います。
戦艦大和の海上特攻後、日本には榛名(金剛型)、伊勢(伊勢型)、日向(伊勢型)、長門(長門)の4隻の戦艦が残されていましたが、いずれも出撃する機会は永遠に訪れず(できなかったとも言えますが)、前者三隻は呉空襲で一方的に叩かれ、戦後まで唯一稼働艦として健在だった長門も水爆実験の標的艦として非業の最期を遂げました。

もしこの時、大和へ海上特攻命令が下されていなかったら果たしてどのような運命をたどったのか。
榛名や伊勢、日向のように空襲で失われることになったのか、あるいは長門のように水爆実験の標的艦として使われることになったのか。
あるいは、米戦艦の標的艦として利用され、アメリカ軍艦の優秀性を示す材料として使われるという屈辱が待っていたのかもしれません(事実、信濃の一部を入手したアメリカ海軍はそれを戦艦の主砲で撃ち抜き、勝利を誇るということをしています)。

この戦いで戦死した将兵には申し訳ないですが、少なくとも戦いの中で逝くことができた。
それが戦艦大和にとって唯一にして最大の幸運だったのかもしれませんね。