2202総集編PV感想①:大和の復活

皆様こんばんは!
2202総集編の動画がアップされて4日。
本当はもっと早く考察したかった簿ですが、今週末は忙しく休日出勤までする羽目に・・・(涙)
なんでこういうときに限って忙しくなるのでしょうか?
謎です(苦笑)

ネット上ではすでに多くの方が素晴らしい考察をされており、今更の考察は完全に出遅れた感が強いです。
という訳で、今回は考察ではなく、私なりの感想という形で軽く今回のPVについて語りたいと思います。

かなり重要だった第二次世界大戦終結二百年祭

前回の記事でも書きましたが、今回のPVにおける最大の驚きは「第二次世界大戦終結二百年祭」における戦艦大和の復元ですね。
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年表が公開された時、このイベントはそこまで重要なものであるとは思ってはいませんでしたが、まさか「戦艦大和の復元」という重要なイベントが用意されているとは完全に予想外でした。
多くの方が指摘されているようにこの復元された大和が有名な戦艦ヤマトの偽装として使われ、「夕日に眠る大和」の名シーンにつながるのはほぼ確定だと思われます。
この設定に関しては批判もあるかもしれませんが、本物の大和が1985年(昭和60年)の調査で、船体が大きく2分割され、部品も周囲に散逸した状態で沈んでいることが判明したため、オリジナル版であった「沈んだ戦艦大和を利用する」という設定はほぼ不可能であり、やむを得ない変更です。
なお、偽装設定は2199の時からありましたが、その時からの謎であった「何故、わざわざ戦艦大和に偽装させたのか」という疑問に対して、今回の「大和の復元」は最も合理的な説明になると思われます。
偽装用に戦艦大和を作るのは単なる資源と金の無駄遣いですが、別の用途ですでに作られていたのならば、それを偽装として流用するのはそこまでおかしな話ではありません。
また、「宇宙戦艦ヤマト」が「戦艦大和」に似たデザインとして設計されたのも、「戦艦大和」という」偽装に合わせる形で設計されたためであると考えれば納得できます。

ちなみに動画内で海底に眠る大和を描いたシーンがありましたが、海底に眠る大和の様子は過去数回にわたって調査し、かなり詳細に判明していますが(※下の画像は、調査を元に製作された模型)、この原画を見る限り非常に忠実に描かれていますね。
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なお、潜水艇2隻が調査していることから、この原画は1999年に有人潜水艇「ジュール」と「ジム」によって行われた潜水調査の様子ではないかと推測できます。
この時の調査は12日間にわたって行われ、大和の撮影と遺品の回収が行われました。
これらの写真や遺品は現在、呉市の「大和ミュージアム」で展示されています。
まあ、これはちょっとした豆知識ですね(笑)

大和復元に関する2つの謎

ただこの「大和の復元」に関しては以下の2つの謎が存在します
①なぜ、復元された大和が坊ノ岬にあったのか
②なぜ、古代たちは戦艦大和を知らなかったのか

まず①についてですが、「大和の復元」は行われたのは、原画で描かれたクレーンの配置や港の形から判断して、広島県の呉港であることはほぼ間違いありません。
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実際、本物の戦艦大和が建造されたのもこの呉港ですので、ここで復元事業が行われるというの当然です。
しかし問題はそのあとです、
呉港の近くには「大和ミュージアム」もあることから、「第二次世界大戦終結二百年祭」の式典終了後、この復元された大和は観光スポットとしてこのまま呉港に係留され続けたと考えるのが普通です。
しかし2199において、古代たちが「夕日に眠る大和」を目撃したのはオリジナルの大和が沈んだ坊ノ岬であることが明言されています。
となると、この復元された大和はわざわざ呉から坊ノ岬に運ばれたことになります。
何故、このような手間暇をかけたのか?
一番考えられる理由としては、ガミラスに対する目くらましではないかと考えます。
というのもガミラスがどの時点で坊ノ岬にある大和の存在を認識していたのかはわかりませんが、坊ノ岬にある大型艦の残骸の存在をガミラスは認識していると少なくとも地球サイドは考えたのでしょう(あるいは実際に偵察機が来ているのが確認された)。
そこでそれを利用して、呉にあった大和のダミーを坊ノ岬に運び、その中でヤマトを建造することを思いついたのかもしれません。
まあこのたありの事情は2202総集編内で詳しく説明されることを期待したいところです。

次に②についてですが、「第二次世界大戦終結二百年祭」の目玉として「大和の復元」が行われたことを考えると、少なくとも2145年までは戦艦大和は非常に有名な存在であったことが分かります。
ところがその約50年後である2199年になると戦艦大和に対する知名度は非常に低下しています。
事実、2199において「夕日に眠る大和」を目撃した古代と島は大和を単なる「沈没戦艦」と表現していますし、続く劇場版「星巡る方舟」でも、密林に眠る大和を見て反応したのはミリタリーマニアの設定がある桐生美影一人でした。
つまり、2199年代になると戦艦大和はよほどの歴史好きかミリタリーマニアでもない限り知らないような艦というところまで知名度が低下していることが分かります。
何故、終戦後200年以上経過しても知名度が高かった戦艦大和が、それから50年後にはほとんど知られない存在になってしまったのか。
その原因は恐らく 2164年に勃発した「内惑星戦争」にあると思われます。
この「内惑星戦争」は地球と火星の全面衝突であったことから、その規模は第二次世界大戦に匹敵するものであったことは間違いありません。
その結果、内惑星戦争が終結した2183年以降、「先の大戦」といえば「第二次世界大戦」ではなく「内惑星戦争」ということになり、一般人の第二次世界大戦に対する知名度は非常に低下してしまったものと思われます。
これは別におかしなことではありません。
例えば、現在「第二次世界大戦」の非常に高いですが、その前に発生した「第一次世界大戦」に対する知名度は驚くほど非常に低く、終戦特集で「第二次世界大戦」を取り上げることはあっても、「第一次世界大戦」を取り上げることはほとんどありません。
それと同様の現象が「内惑星戦争」と「第二世界大戦」に起きていても不思議はありません。
そしてそれと同時に「第二次世界大戦」の象徴的存在であった戦艦大和もメディアで取り上げられることはほとんどなくなり、よほどの歴史好きかミリタリーマニアでない限り知らない艦にまで知名度が低下していたのでしょう。
現在、「第一次世界大戦で活躍した戦艦の名前を挙げてみろ」という質問に答えられる人が非常に限られることを考えると、そこまで歴史好きでもミリタリーマニアでもない古代たちが戦艦大和を知らなかったのはある意味当然だったのかもしれませんね。

コメント

  1. 鹿嶋少将 より:

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    お久しぶりです。
    復元大和は実物大の模型では。と思います。今で言う実物大ガンダムみたいな。
    わざわざ坊の岬の残骸大和を引き上げ、復元は予算が掛かりすぎると思うけどね。

  2. オールドファン より:

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     復元された「大和」ですが、あれは鹿嶋少将さんの言われるように模型、下手をすると外見のみの張りぼてではないかと私も思います。
     海底に眠る大和は多くの方々が眠られる墓所でもあります、ガミラス大戦末期の追い詰められた人類ならともかく、2145年当時の人々にとってもサルベージして復元することはあり得ないことではないでしょうか。

     もしかしたら式典終了後、この「大和」は坊ノ岬沖に回航され海上での墓標に、ひょっとしたら沈められて海底の慰霊碑になった可能性もあるのではと妄想中です。

  3. kazu より:

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    張りぼて、艤装だった説ではないかと。
    ただし彼方の宇宙空間への航海への生活する機能、波動エンジンと波動砲、主砲など戦闘に耐えられる武装を考えると、大和をベースにすることが最適で艤装も合わせたのではないでしょうか。

  4. 山城2199 より:

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    鹿嶋少将様、コメントをありがとうございます。
    また返信が遅れてしまい大変失礼いたしました。

    言葉足らずだったかもしれませんが、私も今回登場する大和は残骸を引き上げて復元したのではなく、展示用に作られた1/1のレプリカだと思います。
    強いて言うならば主砲くらいは引き上げたものを使っているかもしれませんが(現実にも主砲の引き上げ計画はありますし)。
    恐らく外観はしっかり作りこまれていますが、中は空っぽであり、故にヤマトの偽装として転用できたのではないかと思います。

  5. 山城2199 より:

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    PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
    オールドファン様、コメントをありがとうございます。
    また返信が遅れてしまい大変失礼いたしました。

    鹿嶋少将のコメントにも書きましたが私も式典に登場した大和はレプリカであると考えています。
    ちなみに武蔵の引き上げは不可能ですが、大和は現在でも技術的にはギリ可能らしいです。
    実際、全部ではないにせよ、艦首部分や主砲の引き上げは何度か検討されたことがあるそうです。
    ただし、この引き上げには莫大なお金がかかることと、英霊の眠りを妨げるのは如何なものかという反対の声で出るたびに立ち消えになっているらしいです。

  6. 山城2199 より:

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    kazu様、コメントをありがとうございます。
    どうしてヤマトに似せたのか、ということ関してはもしかしたら総集編の作中で語られるかもしれませんね。
    ちなみに私は大和の偽装は偽装に使えるもの(大和のレプリカ)があったから利用したという程度のシンプルな理由だったのではないかと考えています(苦笑)

  7. オールドファン より:

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     一つ思いついたことが有るのですが、もしかしたらサルベージは行われたのかもしれません。

     ひょっとしたら、あの夕陽を背に浮かぶ「大和」は柩ではないかと考えるのです。あの中に大和の遺骸が出来る限り在りし日の威容に近い状態になるように収められているのではないか、まるでツタンカーメン王の柩のように。
     そう考えれば263mが333mになった訳も、元あった坊ノ岬沖の海底に戻された訳も自分としては納得できるのですよね、ただなぜそのような事をしたのか?という疑問は残るのですが…。

     野ざらしになっていた御遺体を収容して墓所として整備した?、これ以上浸食風化が進んで文化遺産として保存することが出来なくなるのを防ぐため?、まあここまでで妄想が過ぎますね、では。

  8. 山城2199 より:

    SECRET: 0
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    オールドファン様、返信ありがとうございます!

    復元された大和が坊ノ岬にある理由は総集編の本編内でしっかり描かれると思います。
    私もいろいろ推理しておりますが的中していることを期待しつつ、今は純粋に推理を楽しみたいと思っています。

    それにしても墓標説ですか・・・
    それも結構面白いですね
    個人的には坊ノ岬の海底に「大和記念艦」みたいな施設が作られており、それがヤマト建造ドックの原型になったのではないかと考えたことがありました。
    もしかしたら墓標説も本当にあり得る話かもしれませんね。

    ちなみに船体が333mになった理由については出淵総監督が「最初の設計図では263mだったものの後から波動砲を追加したため、全長が延長された」と説明されております。
    この設定が2202に引き継がれているかはわかりませんが、一応念のため。