皆様今晩は!
ここ最近、非常に忙しくてすっかりご無沙汰してしまいました。
昨日、ようやく案件が片付きましたので、次の案件がくるまで少しだけ余裕ができそうです。
そこで今のうちに溜まっていたネタを消化していこうと思っています。
またいつ忙しくなって更新が止まってしまうかは分かりませんが、余裕がある間はなるべく積極的に更新をしていこうと思っておりますので、どうぞよろしくお願い致します。
さて記念すべき更新第1回は、以前から気になっていた「ガミラス民主化」について考えてみたいと思います。
2199でデスラー独裁体制が崩壊した後、ガミラスの実権を握った「民主派」ですが、象徴としてイスカンダルの第3皇女ユリ―シャを戴き、政権にディッツやヒス、ドメル夫人が参加していること以外、その実情はほとんど本編中に描かれていません。
果たして「ガミラス民主派」とは一体どのような国家を目指していたのでしょうか?
ガミラスの「民主化」とは?
まず気になるのは、「民主派」が掲げている「民主化」の正体です。
「民主化」と聞けば、「国民主権」に基づく「民主主義」の導入と考えるのが普通です。
しかし、2202本編において「民主化」が勧められているという事が語られているガミラスですが、果たしてこの「民主化」は地球の民主主義と同じものなのでしょうか?
というのも、「有力貴族による共同統治」から「エーリク・ヴァム・デスラー大公を盟主とする寡頭政」、そして「アベルト・デスラー総統による独裁政」へと発展していたガミラスにおいては、「国民主権」という認識が育つ土壌がそもそも存在せず、国民の政治参加への意欲もそこまで高いとは思えません。
しかもデスラー総統の独裁政治はかなりうまくやっており、一部で不満は爆発していたものの、大多数の一般国民からの支持は極めて高く、独裁制への反発から「民主主義」が誕生するという可能性も少ないです。
実際、デスラー独裁体制が崩壊した理由は、「民主主義」を求める国民の決起などでなく、デスラー政権内部の権力抗争と、ヤマトとの戦いの中で絶対権力者であるデスラー総統が行方不明になったという事情によるものでした。
このような状況において、果たしてガミラスに「民主政治」を導入する事は可能でしょうか?
答えはもちろん否です。
ガミラスに「民主主義」を導入するためには、国民に対して徹底的な意識改革を施す必要があり、少なくとも数十年単の年月が必要です。
少なくとも2202の時点で実現しているとは考えられません。
ガミラス民主派が求めていたもの
またデスラー体制崩壊後にガミラスの実権を握った「ガミラス民主派」も、「国民主権」を実現させる気があったのでしょうか?
何故なら、その中心にいるディッツにしてもドメル夫人にしても明らかに貴族階級出身者であり、そもそも国民を政治に参加させるという発想があるとは思えません。
思うにガミラス民主派が求めている民主化とは、国民を政治に参加させる事ではなく、貴族や実力者が「議員」となり政治に参加する、いわゆる「元老院」主導体制というべきものではないかと思われます。
ガミラス帝国のモデルは古代ローマ帝国であると言われていますが、古代ローマ帝国初期においては、皇帝とローマ議員から構成される元老院の主導権争いはほぼお約束となっていました。
ガミラスにおけるデスラー総統と「ガミラス民主派」の対立も、ローマ帝国における皇帝と元老院の対立と同じ構図と考えるとしっくりするものがあります。
これはあくまで想像ですが、恐らくアベルト・デスラーが総統に就任した当時は、ガミラス元老院のようなものが存在し、彼らの同意を得られなければ何を行う事ができなかったのではないでしょうか。
そして、元老院の後ろ盾に、デスラータワーによるイスカンダルへの恐喝を企む者すら出てきており、もはや元老院の存在そのものが「移住計画」の妨げになると判断したデスラー総統は、元老院を解散・議員の粛清や追放を行い、完全独裁制を確立したものと考えられます。
しかし、そのようなデスラー総統の強権政治に反発を覚え、元老院主導こそガミラスの正しい姿と考える者も一定数おり、そのような者たちが元老院の復活を求めて団結し、誕生したのが「ガミラス民主派」なのではないでしょうか。
なお、当然ながら「ガミラス民主派」の理想は復古的なものであり、国民の支持はそこまで期待できなかったと思われます。
当人たちもそれは分かっており、そのため、イスカンダルの第三皇女ユリ―シャを象徴として迎える事で、国民の支持を取り付けようとしたのではないかと思われます。
結論
ガミラス国民にとっては「ガミラス民主派」の政権奪取は、自分たちに関係のない権力争いに過ぎず、積極的に支持する理由は無かったものと思われます。
むしろ元老院が復活したことで、デスラー総統時代には出来ていた即断即決が出来なくなってしまい、国民の間にはガミラス民主政権に対する不満が高まっていたのではないでしょうか。
こう考えると、2202でギムレーがデスラー総統の帰還で総統派の勝利を確信したのはそれなりの根拠があったものと思われます。